『 ベアテの贈りもの 』 を上映
ぜひ、ご覧下さい!!
2012年12月の衆議院総選挙は「憲法改正」について政党もマスコミも詳しく取り上げないまま行われ、その結果「憲法改正」しようという勢力が、衆議院で自民、公明、維新の会、みんなの党と、大勢を占めました。
日本国憲法を「押しつけ憲法」という人が以前からいますが、石原慎太郎氏や橋下徹氏が「占領日本国憲法」と発言するようになりました。
日本国憲法「第十章最高法規」の第九十九条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」とあります。
安倍首相が先頭に立ち「憲法改正」しようと第九十六条「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会がこれを発議し」を「二分の一以上」に変え、憲法を変えやすくしようとしているのは逆立ちしていると思います。
ドキュメンタリー映画「ベアテの贈りもの」を通じて、日本国憲法が押しつけられたものなのか、知ることができればと思います。
2013年春 「ベアテの贈りもの」 をみる会
「ベアテの贈りもの」製作委員会代表 赤松良子
映画「ベアテの贈りもの」が完成した。ベアテ・シロタ・ゴートンさんは22歳の時に、日本女性のためにすばらしい大仕事をしてくれた女性だ。そして贈りものとは、彼女が草案を書いた日本国憲法第24条のことである。
ベアテさんをテーマにして映画を作ろうと、はじめて話し合われた時、資金の目途はなく全く夢のような話だった。しかし、女性の権利と地位向上に半生を捧げてきた一人の女性が、少なからぬ退職金を映画製作のために寄附し、それを機に資金も集め、とうとうこの映画が生まれた。
今の憲法が、アメリカから押しつけられたものだから、変えるべきだと主張する人々に私は言いたい。戦後、日本中が焼け野原になっていた時、新しい国の基本になる憲法の草案を、日本人のエリートたち(女性はゼロだったが)が書き上げたが、その中には「男女平等」の一句もなかった。戦前の日本に長く住み、日本の女性に強い愛情とシンパシーを抱いていたGHQ職員ベアテさんの草案がなかったら、その後の日本女性は家父長制の下で無権利状態であった戦前と大して変わることがなかったことだろう。
だからこそ、私たちは今の憲法を「押しつけ」などではなく、すばらしい「贈りもの」と思って、その精神を活かし、男女雇用機会均等法や男女共同参画社会基本法のある日本にしてきたのだ。この映画をみて、多くの人々がその想いを共有して下さることを切望している。
Beate Sirota Gordon
1923年ウィーン生まれ。父はリストの再来と言われたピアニスト、レオ・シロタ。
1929年、5歳の時に山田耕作がレオ・シロタを日本に招聘し一家は6ヶ月の予定で来日。しかしナチスが台頭し、第二次世界大戦が勃発したために両親はその後も17年間を日本で過ごすことになる。
1939年、戦争直前にベアテ15歳でサンフランシスコのミルズカレッジへ単身入学し、卒業後はタイム誌で調査担当として勤務。
戦後、両親との再会のためにGHQ民生局の一員として来日。6ヶ国語が堪能な、22歳のベアテは、日本国憲法の草案委員会のただ一人の女性として人権委員会で種々の項目を列挙し、第14条「人権」と、第24条「男女平等」が採択された。
その後、米国で結婚し、ジャパンソサエティ&アジアソサエティにおいて日本とアジアの国々の優れた芸術家たちを米国に紹介し、文化交流に尽くす。
1990年代に入り、歴史の証人として憲法草案に関わった事実を初めて語る。以来、ベアテの講演は各地で人々を勇気づけた。
2012年12月30日、ニューヨークの自宅で死去。
(以上、参加を呼びかけるチラシより抜粋)
日時 : 2013年 6月 4日 (火)
会場 : 和歌山市あいあいセンター 6階ホール
和歌山市小人町29番地
参加券(前売・当日とも)
大人 : 1000円 学生 : 500円 高校生以下 : 無料
主催 : 「 ベアテの贈りもの 」 をみる会